Jul 27, 2009
自分らしさの追求と会社設立について
会社設立のマナーとルールをきちんと守っていくことは大切です。今までにない商売ならもっといいですね。そこに自分も続きの助けを導入することができれば完璧です。初期段階では苦労の連続なのでしょうか。会社設立のノウハウも、一つ一つ習得していきましょう。頑張ってください。商標登録によって保護されている商標は文字商標、図形商標、文字や図形記号などの組み合わせの商標、立体的形状又はこれらの組み合わせの商標などが含まれます。このうち、文字商標の登録をしている場合には、一般的なフォントの文字もよく、また、ロゴやデザインされた書体などのブランドもお勧めです。また、色のブランドも単純なブラックラベルにもお勧めします。
白神山地の山中で、クマ狩りなどで生計を立てていた「またぎ」たちが狩りや寝食の拠点としていた「またぎ小屋」を訪ねるトレッキング体験ツアーが3日、鰺ケ沢町で開かれた。
ガイド役は「最後の赤石またぎ」と呼ばれる大谷石之丞(おおたにいしのじょう)さんの次男で、NPO「白神自然学校」講師の石捷(いしかつ)さん(65)。参加者は道なき道を山深く進み、またぎたちの生活の苦労を実体験した。
NPO「白神山地を守る会」が2日開いた「ブナ植樹フェスタ」の関連イベント。参加者は石捷さんの案内で林道脇の斜面を下り、赤石川を長靴で渡河。さらに急斜面の獣道を必死に上り、やっとの思いで小屋にたどり着いた。
約40年前にブナの木を使って建てたとされる小屋は、3年ほど前に守る会などが改修した。今は使われていないが、外壁にはクマのひっかき傷が生々しく残り、参加者が驚きの声を上げていた。神奈川県などから訪れた女性グループは「実際にまたぎの仕事を体験した人に案内してもらい感激。川を渡るのも面白かった」と話した。【神崎修一】
7月4日朝刊
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◇指紋管理、説明に課題
東京入国管理局成田空港支局は、あらかじめパスポートや指紋を登録し、出入国審査を専用機械で実施する「自動化ゲート」の利用を促すキャンペーンを実施した。入管職員がいる通常のゲートは長蛇の列となる一方、自動化ゲートはほとんど並ばずに通過できる状態が続いており、国際線出発ロビーの手荷物検査場前に特設登録所を設置、旅行者にチラシを配り、事前登録を呼びかけた=写真。
自動化ゲートは07年11月、審査場の混雑緩和のため法務省が導入し、成田・羽田・関西・中部の4空港に設置した。利用には入国管理局のシステムへの登録が必要で、審査場では機械にパスポートと指紋をかざすことで通過できる。10年9月までに約15万人が登録したものの、その後は利用者数が伸び悩んでいる。
成田空港では1日平均で約2000人がゲートを利用。四つある審査場にそれぞれ1台ずつ自動化ゲートが設けられているが、通常ゲートに比べ人影はまばら。出入国印が押されないため、査証欄が埋まって有効期間途中でパスポートを更新する心配がなく、頻繁に日本と国外を行き来するビジネス客などにはメリットがある。
しかし、通常は必要のない指紋登録・照合があるため、個人情報を管理されることに抵抗感があるケースも少なくないとみられる。入管担当者は「指紋情報は個人情報保護法に基づき、入管以外の組織に提供されるなど、利用可能な範囲を超えて流出することはない」と力説。利用促進には市民への十分な説明が課題となっている。【西浦久雄】
7月4日朝刊
「3・11東日本大震災報道写真展」(神奈川新聞社、河北新報社主催)が3日から、横浜駅東口の新都市プラザ(そごう横浜店地下2階入り口前)で始まった。津波の惨状や救助活動、避難所生活などをカラー写真で伝えている。
震災発生から10日間を河北新報記者らが写した計68枚を展示。震災直後の号外など河北新報紙面も閲覧できる。被災しながらも懸命に取材を続けた記者のルポなどが読める。
雪の中、給水を待つ被災者の列を捉えた写真に見入っていた千葉市の女性は「もうすぐ4カ月。季節が変わっても被災者が大勢いると思うと言葉が出ない」と涙ながらに語った。
岩手県出身の女性会社員(35)=横浜市中区=は「震災後すぐ、地元の知人に物資を送ろうとしたが、届けられなかった。お盆の時期に何かできれば」と話した。
会場では義援金を募っているほか、報道写真集や支援リストバンド(いずれも千円)も販売している。
同展は入場無料で7日まで。午前10時〜午後8時。
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4月30日付け照明灯
【南城】沖縄戦当時、宮崎県の岩井川村(現日之影町)に疎開していた沖縄県出身者の写真がこのほど見つかった。写真の持ち主の弟、甲田喜明さん(64)=東京都=が写真に写っている県出身者の松岡節子さん(当時)を捜している。
甲田さんによると、写真は1952年3月に甲田さんの姉徳子さん(72)=大分市=が大人小学校を卒業する時に同校の校門前で撮ったもので、徳子さんの同級生の節子さんと節子さんの母よし子さん、当時6歳だった甲田さんが写っている。節子さんの県内の出身地は分からないが、同校卒業後沖縄に帰ったという。
同村には佐敷村(当時)の佐敷国民学校から約300人の学童らが44年から46年までの約2年間疎開。元学童らは戦後「佐敷国民学校疎開者岩井川会」を創立し、半世紀以上にわたり交流を続けている。同会に松岡さんは所属していないため、一般疎開者だったとみられる。
甲田さんは岩井川村出身で18歳で上京。松岡さんを学童疎開者だと思って捜す中で、過去の琉球新報を読んで交流を知り「佐敷国民学校元学童のみなさんへ」と南城市の掲示板に書き込み情報を求めていた。
岩井川会の小波津厚明会長(81)=同市佐敷=は「岩井川村には当時一般疎開者もいて、大人神社にもよく遊びに行った。写真は卒業生と家族も一緒に写っており大変貴重だ」と懐かしんだ。
甲田さんは「一般疎開者の情報は少ないのではないか。松岡さんは何らかの理由で戦後もしばらく残ったのだろう」と話した。甲田さんの連絡先は(電話)090(3008)4565。
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